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18.道灌の首塚 [銭泡記]


 風の強い日だった。

 銭泡と万里は竜仙坊、風輪坊、鈴木兵庫助、明智孫八郎らに守られて糟屋の洞昌院に来ていた。

 今日は道灌の二七日(ふたなのか)だった。

 万里が是非とも道灌の墓参りがしたいと言うのでやって来たのだった。勿論、糟屋のお屋形様のもとに寄るつもりはない。あそこに顔を出したら、また、引き留められて、いつ、帰れるか分からなくなるし、二度とあの顔は見たくないと二人とも思っていた。

 竜仙坊は善法園で酔い潰れた次の日、さっそく、上野(こうづけ)の国の白井(子持村)まで行った。道灌の首を持って帰ると勇んで出掛けて行ったが、何の収穫も得られずに戻って来た。

「どうも分からんのう。白井の奴らは皆、殿が病死したと信じていたわ。殿が急に亡くなってしまったので、また、戦が始まるに違いないと噂している。まあ、江戸の連中でさえ、本当の事を知らんのじゃから、当然とも言えるがのう」

「管領殿の兄上殿もですか」

「管領殿から連絡があって、殺されたという事は知ってるはずじゃ。しかし、殿の首が白井に行ったのかどうかは、まったく分からん」

「分かりませんか‥‥‥」

「城内に潜入して、左馬助の近辺を探ってみたが怪しい所は何もない。毎晩、宴(うたげ)を催して、飲めや歌えと泰平の世を楽しんでおったわ」

「毎晩、宴ですか」

「おう。綺麗所の女子(おなご)をずらりと並べてのう。結構な身分じゃ」

「左馬助殿は道灌殿の暗殺に関わってはいなかったんですね」

「分からん。もし、首が白井に行ったとすれば、すでに届いているはずじゃ。左馬助が殿の首と対面した後、どこかに首塚が作られるはずじゃ。そう思って、白井中の寺を当たってみたが、新しい首塚など見つからなかった」

「というと首は越後まで?」

「かもしれん」

「越後か‥‥‥遠い所まで行ってしまわれたのう」

 竜仙坊はすぐにでも越後の府中に向かうと言ったが、銭泡が万里を連れて糟屋に行くというので、護衛のため付いて来てくれたのだった。

 道灌の墓は銭泡が最後に来た時のままだった。あれから、誰かが墓参りに来た様子はない。死んでしまえば仕方がないが、もし、道灌の墓が江戸にあったら、こんな淋しい事にはならなかっただろう。毎日、花に囲まれていたに違いないのに、こんな所に葬られたため、訪れる者もいない。哀れな事だった。

 万里は道灌のために書いた漢詩を墓に捧げた。それを聞いているうちに、銭泡を初めとして一緒に来た者たちは涙が流れて来るのを抑える事はできなかった。

 墓参りの後、洞昌院の和尚のもとに立ち寄って一休みした時、和尚より以外な事を聞かされた。

 お屋形の東、一里足らずの地に道灌の叔父の周厳(しゅうげん)和尚が鎌倉から移した臨済宗の大慈寺がある。今、周厳和尚は江戸城内の芳林院にいるので、そこにはいないが、そこに道灌の首塚ができたという。

 周厳和尚が甥の供養のために、首をそこに埋めたらしい。それにしても、目と鼻の先に首と胴が分かれて葬られているというのも可哀想な事じゃ。周厳和尚の気持ちも分かるが、どうして、そんな事をしたのだろうと首を傾げていた。

 初耳だった。

 道灌の首塚がどうして、そんな所にできたのか不思議だった。本物の首なのだろうかと銭泡は疑った。

「周厳和尚は今、江戸におりますが、そのような事、一言も聞いておりませんが」と鈴木兵庫助が怪訝(けげん)な顔をした。

「若殿は毎日のように、父上の首を捜し出せと申しております。首が大慈寺に埋められている事など知っている者は江戸には誰もおりません」

「おかしいですな‥‥‥わしはてっきり、周厳和尚がわざわざ、あそこに埋めたものと思っておりましたが」

「一体、いつ、その首塚はできたのです」

「初七日の時じゃったかのう。ここで法要をやっていた時じゃ。道灌殿の首が見つかったと駆け込んで来た者があったわ」

「一体、誰が、その首を持って来たのです」と竜仙坊が聞いた。

「お屋形様の配下の山伏じゃったと聞いたが」

 一行はすぐに大慈寺に向かった。

 首塚はすぐに分かった。こちらの首塚は洞昌院の墓とは違って花に囲まれていた。万里は首塚の前に座り込んで、いつまでも合掌をしていた。銭泡も竜仙坊も本物の首塚なのだろうかと疑いながらも合掌をした。

 大慈寺の和尚は周厳和尚の弟子だった。和尚の話によると、道灌の初七日の日、中道坊という大山の山伏が訪ねて来て、周厳和尚に頼まれて道灌の首を持って来たと言う。

 その山伏は以前、道灌に仕えていた山伏で、道灌が殺されてから、ずっと、首を捜していた。ようやく捜し出して、江戸城に持って行くと周厳和尚より、ここに葬ってやれと言われて持って来たという。塩漬けにされたその首は、かなり傷んでいたが、確かに道灌の首だった。胴体の方はお屋形様の菩提寺である洞昌院に葬られてしまったので、首だけは自分が開いたこの寺に葬って供養したいのだと思い、大慈寺の和尚は道灌の首を埋めて供養したという。

 鈴木兵庫助は周厳和尚から、そんな話は聞いていないのでおかしいと言い張った。銭泡は兵庫助をなだめて大慈寺を後にした。

 その日はお屋形様に気づかれないように、名前を隠して糟屋の城下の旅籠屋に泊まる事にした。部屋に落ち着くまで兵庫助はずっと、「どう考えても、あの首塚はおかしい」と言い続けていた。

「兵庫助殿、そなたの言う通りじゃ」と銭泡は言った。

「そうですよ。あの首塚は絶対におかしい。芳林院の和尚は殿の首の事など一言も言ってはおらんのに、あんな所に首塚ができてるなんて‥‥‥」

「確かに、おかしい」と竜仙坊も言った。

「大慈寺の和尚が言っていた中道坊という奴は、ここのお屋形様の配下の山伏じゃ。中道坊が周厳和尚から頼まれて首を持って来たというのは嘘じゃ。周厳和尚が知らないのも当然の事じゃ」

「どうして、そんな嘘を付いたのです」

「それが、まず、第一の謎じゃ」

「第一の謎、まだ他にも謎があるんですか」

「ある。なぜ、周厳和尚から頼まれたという嘘まで付いて大慈寺に首を持って行ったのか、という事じゃ。中道坊はお屋形様の配下じゃ。わざわざ、大慈寺に持って行かなくても、洞昌院に持って行けばいい。胴体は洞昌院にあるんじゃからな」

「成程。おかしいですな」と万里が言った。

「その首は偽物ですかね」と銭泡は聞いた。

「その可能性は大いにあると言える」

「そうか、偽物の首だったから洞昌院に持って行けなかったんだな。殿の祟りを恐れて、違う場所に首塚を作ったんだ」

 兵庫助は一人で納得していた。

「しかし、あの和尚は実際に首を見て、道灌殿じゃと確認したと言っておりましたが」と万里は不思議がった。

「あの寺に首が届いたのは、殿がお亡くなりになってから七日も経っている。いくら塩漬けにしておいたとしても、季節が季節じゃから傷みはひどいものじゃろう。殿の首だと言われて見せられれば、そう信じてしまうもんじゃ。もし、和尚が疑いの目をもって、その首を見たなら偽物と見抜いたかもしれん。しかし、周厳和尚の名を出され、江戸から来たと聞いただけで、和尚は中道坊の言う事をすっかり信じ込んでしまったんじゃ。信じ込んでしまえば、ある程度、似ている首なら殿の首だと思ってしまうじゃろう」

「うむ、そうかもしれんのう‥‥‥あの首塚が偽物だとすると、本物の首はどこにあるんじゃろうか」

「いや、まだ、偽物じゃとは決められん」と竜仙坊は言った。

「えっ、どうしてです」と風輪坊が聞いた。

「お紺じゃよ」

 銭泡は万里、兵庫助、孫八郎にお紺の事を説明した。

「そのお紺が殿の暗殺にかかわっていた事は確かじゃ。殿の刀を隠したのはお紺じゃろう。そして、本物の首をどこかに隠したのもお紺かもしれん。そうなると、その首は中道坊のもとに行く事となる」

「竜仙坊殿、ちょっと待って下さいよ」と風輪坊は手を挙げた。

「そうなると、湯殿に隠れていた二人と、お紺は仲間という事になりますよね。三人は中道坊の配下となります。本物の首のありかをごまかすために、二つの偽物の首を持った二人はお屋形から逃げた。そのうちの一人は、中道坊の配下の二人組に殺されているんですよ。仲間同士で斬り合ったというのですか」

「そうじゃよ。偽首を持った二人は所詮、殺される事になっていたんじゃ。もう一人の方も中道坊の手によって殺されたのかもしれん」

「どうも、わしには分からんがのう」と万里が首を傾げた。

「偽首を持った二人は殿を殺した下手人じゃ。何者かに捕まってしまう前に消さなければならなかったんじゃよ」と竜仙坊は説明した。

「成程‥‥‥という事は、中道坊は道灌殿を殺した事を隠したかったという事ですかのう」

「中道坊はただ、曽我兵庫頭に殿を殺せと命じられたが、証拠は残すなと命じられたのじゃろう」

「証拠を残すとどうなるんです」と今度は銭泡が聞いた。

「もし、下手人が、例えば、管領殿の手の者に捕まったとすると、当然、お屋形様が殿を暗殺した事が知られる。殿はお屋形様の執事じゃ。家臣であるわけじゃ。家臣を殺すのに山伏を使って暗殺をしたなどと噂が立てば、信用にかかわると思うがのう」

「うむ。確かにのう。家臣を暗殺するような、お屋形様に付いて行く者はおらなくなるわ」

「同じ殺すにしても、お屋形様が山伏ではなく、家臣の誰かに命じて殺した事にすれば、また違って来る。主命に背いたために成敗したとでも言えば、それ程、信用にかかわる事もあるまい」

「という事は、道灌殿を殺したのは、ここのお屋形様じゃと言うのか」と万里は聞いた。

「もし、あの首塚が本物なら、そうなるのう」

「今頃、掘り返してみても分からんだろうしな」と兵庫助は残念がった。

「中道坊に聞いてみる。首を持って来たのは奴じゃからな。奴に聞けば、首が本物か偽物かすぐに分かるじゃろう」

「奴は今、ここにいるんですか」と風輪坊が聞いた。

「いや、河越じゃ」

「もし、あの首塚が本物だとしたら、どうして胴と別の所に埋めたんじゃろう。わざわざ、嘘まで付いて‥‥‥」と万里は言った。

「それはのう‥‥‥」竜仙坊も今度は詰まってしまった。

「そうじゃ。本物の首じゃったら洞昌院に持って行けばいいんじゃ」と銭泡は言った。

「首を持って来た中道坊が下手人だとしたら、恐ろしくて、洞昌院に行けなかったのかもしれませんね」と風輪坊は言った。

「うむ。それじゃな。非業の死をとげた者の呪いは強いというからのう。首と胴を同じ所に埋めて供養するより、別々の所に埋めて供養した方が、呪いの力は弱まるとも言われているからな、そうかもしれん。まあ、中道坊に聞けば、すべては解決するじゃろう」

「呪いか‥‥‥確かに、道灌殿の呪いはあるかもしれん。理由も分からずに、不意に襲われたんじゃからのう。しかも、風呂場の中で‥‥‥さぞ、無念な事じゃろう」

 遠くで雷の音が聞こえた。

 外が急に暗くなって来た。

 竜仙坊は立ち上がると縁側の方に行って空を見上げた。

「夕立が来そうじゃのう」

 風輪坊も縁側の方に行った。

 旅籠屋の小女(こおんな)が部屋の明かりを点けに来た。

「銭泡殿、おぬし、命を狙われておったのか」と万里が聞いた。

「ああ。お紺という女に狙われておるんじゃ」

「何をやったんじゃ」

「何もやっとらん。何で命を狙われるのか、まったく理由が分からんのじゃよ。今はお紺の正体は分かったが、あの時は、そんな事は何も知らなかった。あの夜以来、お紺には会っておらんから、未だに、わしの命を狙っておるのかどうかは分からんが、どう考えてみても心当たりはないんじゃ」

「そうか‥‥‥おぬしも、とんだとばっちりを受けたもんじゃのう」

「まったくじゃ」

 夕飯を食べた後、竜仙坊は雨の中、もう一度、湯殿を調べようとお屋形内に忍び込んだ。湯殿の庭にあった塩の事が気になっていた。その塩を使って、本物の首を塩漬けにしたに違いないが、もし、道灌が殺される時に声を出した場合、本物の首がどうなったのかが分からなかった。今回のように道灌が声も出さずに殺された場合は、偽者の首を持った二人が出て行ってから、道灌の死体が発見されるまでに、弥吉あるいはお紺によって、どこかに持ち去られたと考えられるが、声を出したとすれば、警固の兵たちが、すぐに集まって来る。二人は逃げ出す事ができるだろうが、本物の首は弥吉あるいはお紺が取りに来る前に、警固の兵によって見つかってしまう。弥吉にしろお紺にしろ、そんな間抜けな事をするはずはなかった。声を出した時の事も考えて計画は運ばれたはずだった。

 竜仙坊はその事を調べるために湯殿に行ったが、すでに、湯殿は壊されていた。湯殿の建物も塀も影も形もなかった。ただ、湯殿内にあった坪庭だけは、そのままだった。不自然な形で庭石や植木が残っていた。

 竜仙坊はこの間の塩を捜したが見つからなかった。溶けてしまったのか、雨に流されてしまったのだろう。

 無駄足だったかと諦めて帰ろうとした時、何げなくさわった庭石が少し動いた。おかしいと思って力を入れてみると、石はなお動いた。竜仙坊は両手で石を動かしてみた。かなり重い石だったが、何とか移動してみると石の下に穴があいていた。そして、その穴の中には、かなりの塩が入っていた。なかば溶けているが、まだ、白いままのもあった。

 ここに本物の首を隠したに違いないと竜仙坊は確信した。しかし、その塩に血の跡は残っていなかった。斬ったばかりの生首を入れれば、血だらけになるはずなのに、そんな形跡はまったくなかった。

 竜仙坊は雨に打たれながら、しばらく考えていたが、穴を元のようにふさぐとお屋形内から抜け出した。
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